善法寺は通帳と判子と財布を持って引越しのバイトの事務所へと向かっていた。前日のバイトで壊したものを出来る限り弁償させてもらうつもりだったからだ。足りない分は、親に話すか、無償で働かせてほしいとでもいうつもりがあった。
しかし、相手側の意向で今回壊れた物損も何もかも支払は一切不要ということで、日払いだったのに渡せなかったからと茶封筒の中に万札と千円札が数枚入った茶封筒を持たされて帰ってきた。
せめて、せめて何とかお礼が言わせてほしいとか、引っ越しの事務所の先の人に食いさがってみたがコチラから連絡はさせて頂いている。善法寺君のしたことで許してもらえるのは稀なことだし先方さんの気が変わってしまったら正直な話困る、個人情報にもなるからと教えてはもらえなかった。
引っ越し屋のやや古くなってネジが緩んでいるせいか、開けるとカタンと音がする事務所の扉を押すと、外でポケットに手を突っ込んで制服にマフラーに顔をうずめて待っていてくれた七松がどうだったか聞いてくる。

「いいじゃない、それってラッキーじゃん」

男として何だか気がすまないなんて言いだす善法寺に、七松があっけらかんと、じゃあいさっくんそんな払う金あったの?と聞き返されてもそんな金もあるはずもないし親に借りるかなんてもっと何だか格好が悪い。男としてのプライドの問題なんだよ、と口を尖らせてバツが悪そうにするとバンバンと背中を叩いて、よし用事もすんだし飯食って帰ろうと口を横にニイッとさせて笑って見せる七松に紹介した手前、もうしかしたら心配をさせてしまったのかもしれないと、ゴメンねと口に出た。

だからその後日、その引っ越し主に偶然出会い小さなことだが、新しいバイト先にてお礼ができたことが彼、善法寺にはささやかだが嬉しかった。





「なあ、お前さあ俺と二人きりで高級ホテル最上階フルコースなんて行けるか?」
目の前でとろとろの豚の角煮ラーメンとたっぷり重力感のある肉餃子、特製チャーハンに箸をつけようとした部下へと声をかける。
「野郎二人だけでホテルとか…マジ勘弁っすね」
ここのラーメン屋の鶏がらだし並に鳥肌です。トンコツのが好きなんすよね、そう言うと早いかズルズルとあつあつの麺をよく火傷しないものだと、素場やく繰り出す箸で吸い込むようにかっくらい、カッカと音をたててチャーハンをレンゲで掬いあげながら高速スピードでむさぼる眼の前の自分の部下。
「いやあな、もちろん俺だってなあ、お前みたいにクッソ可愛くなくって品のないクソガキ御遠慮願いたいとこなんだがさ、キャンセルすんの忘れてたのよ」
近頃の人気店だかのラーメン屋は込み合う昼飯時は禁煙の店が多いらしく、その注意の旨を記した張り紙を目にして胸ポケットに取り出しかけたシガレットケースを閉まった。
白いエプロンをして渡してある合鍵で台所で料理をしていたらしいのが蘇る。ことある日付ごとに記念日を決めては食事やら送りものをねだられて、贈られて。やらかしたあの当日の、今日は何の日だ?なんてエプロンの間の、メロンみたいに大きなおっぱいを胸元大きく開いた服から覗かせながら言われた。さあ、何の日だったかなあ、なんて素で答えたら、もう意地悪とか裾を引っ張られて今日で貴方の出会って1年目でしょうとか、ああそうだそうだ、と更に余計なこともつい、口にしてしまった。
「誕生日もうすぐだったけ、前は麻布のフレンチだけだったけど今回はホテルの予約もしておいたよ。あの時、お前ヒールの高いカカト折ってな…」
フっと思いだしたように彼女が好きだと言った顔で微笑んで見せると自分を見上げる目が底冷えするような視線であることに雑渡は気がついた。


ヒール折った女って誰よ。


うんざりとして思い出を記憶の隅追い払う。その、そうそうあの子の誕生日は今日だった。随分前から予約していてキャンセルは三日前までにおすませ下さい。前日キャンセルでコースメニュー半額罰金。当日キャンセルで全額罰金。宿泊代はいたしかないとしてさすがに飯代くらいはドブに捨てるのも何だか口惜しい。
「ごっそーさんですー」
「…これも俺のおごりにしてもいい」
「何言ってんすかそんなの当たり前じゃないですか」
しれっとしたように満腹満腹と冷たい水を喉に流し込んでごちなります、アザーッス!と若者に元気いっぱいに返された。
「大体、キープの女性なり貴方に憧れてる人くらい誘えばいいっしょ」
「こんな顔じゃ俺のプライドもあるしカッコもつかんだろ」
未だに全快はしていない左頬を撫でる。向い側カウンターの奥の遠慮勝ちにもチラチラと気にする目。まだ少し攣れた皮膚の上に巻かれた仰々しい包帯姿の雑渡を見る周りの目はやはり奇意だ。
「あ、あの子でいいじゃないすっかあの子」
「誰だよ」
「お気に入りのバイト君の善法寺君」
ポンっとした提案に何であの子?という疑問符が浮いたがあの可愛らしい笑顔と、まあ、傍目に連れて歩いても見目も悪くはない。叔父と甥みたいに場違いでもないか。
「夕方までで今日でOK言ってくれてるかねえ」
「いや、今日バイトないし俺メールしときますよ」
なんでお前が知ってるんだよ、と憮然と見ると、時々貴方が行けない時のお使いでケーキ屋いってる間に話があっちゃってメアド交換しなんずよ、とカチカチ携帯を動かしてぽちっと送信。若い子特有のメール捌きであっと言う間にすまさせてしまった。急にでもそんな事したって少年だってバイトもあるし付き合いもあんだからさあ、迷惑になんじゃないのかとか気にしすぎなんですよとか言ううちに早くも返信が来た。

「あ、オッケーだそうですよ、貴方が困っててこれ位でお役にたてるなら、のビックリマーク5個で返信きました、ほらほらこの顔文字とかどこで落とせるんだろ」
「困ってるってぇのはー…お前、あの子になんつったんだ?」

ジロリと雑渡が別にそこまで困ってたいうわけじゃあないと睨みつける。険が強く普段も御世辞にも良いとはいえない目を半目で向けた。それを気にもせずに
「そのまんまっすよ、貴方が女に振られて食事のキャンセルなって困ってるから代わりに善法寺君に来…」

ぐっと握ったゲンコツで部下の頭をゴツンとこきみの良い音を鳴らし殴った勢いで立ち上がる。頭を押さえてうずくまる小憎たらしい部下を尻眼に、台の上に財布から取り出した紙幣数枚出して自分は一口も食べてもいないラーメン屋の店主にごっそーさん、と声をかけてカラカラと横開きのドアを開きノレンをくぐる。
自分が学生の頃にはなかったようなエスニックな作りのラーメン屋から出ると、先ほどしまった胸ポケットの煙草を探って口に銜えた。
約束の時間は午後6時半。学期の中間試験の補修が終わる頃には丁度いいだろう彼を、迎に行くにはまだ時間もある。飯は美味いところだし、また無邪気に笑ってくれるだろうかと、自分に向けられたあの顔を思い出してふと、楽しみになってきている自分に気づいた。
年の離れた甥っこがいたらこんなもんだろうか。

「ちょっとまってくださいよ!!」
背後からおもいっきり殴ったせいか、少し泣きの入った声が聞こえてきた。
「替え玉分足りません」
短く刈り上げ、前髪をハードワックスで立たせている為にむき出しのデコへ500円玉をベシリと投げつけた。勘定分はそれでも十分釣りがくるように出したのにと、そういえばコイツチャーハン何皿頼んでいたかとやや呆れて煙を吸い込んだ。