マウンテンバイクをマンションのエントランス脇の細い道を抜けて貸りている駐車場へと止める。刺さっている鍵を抜いて、念のためにチェーンの鍵の輪を柱にくくりつけてぐいぐいと引っ張り、がっちりと取れないか念を押す。既に一度鍵を抜き忘れて学校内で一代目はパクられたことがある。二代目は座る部分のサドルを盗まれてこいつは三代目だった。
エントランスまで戻るとマンション玄関口のインターホン下に設置されたオートロックの鍵を回して自動ドアの中へと入る。途中階に泊まっているエレベーターを一階まで呼び戻し指定階のフロアのボタンを押す。女の子の一人暮らしでもないのに防犯完備駅から徒歩数分の無駄に良い好物件の僕の一人暮らしで住むデザインマンションの部屋。
しいて言うならば最上階の一階下の、角部屋の建物の構造上エレベーターの隣の一個飛び出た僕の部屋は窓が2つでどの時間帯も光が差し込む上に、デザインマンションの設計上ミスとも言える僕の部屋のみ屋根がなく上がコンクリートであること。それが冬はいいけれど夏はいくら鉄筋防熱使用のマンションでも日が照っているとマンション内でも部屋が蒸されてしまう。夜になってもまだ熱気が抜け切らない。どうせいくら使おうが電気代金も家賃に含まれているため遠慮なく一日中かけているから問題は…正しくは家賃外の光熱費を払っている人がいるから問題ないわけだったけど。
日当たりや設計ミス差し引いても以前、高校時代の友人たちが自分のこの部屋に来た時に七松がポカンと言った言葉が
「何ここ自殺の名所?」
そうであった方がよっぽど説得力が出るくらい、不相応な物件に住んでいることは自覚済みだ。うちの家庭事情をよく知る留なんかは特に胡散臭そうに疑っていた。
日当たりのことやもろもろはあるけれど、実際を言えばそんなことは関係ない程の良い住処。死んだ人間がいるわけでもなく、問題は生きている人なのだから。目的の階についてちゃりちゃりと音を鳴らしと昔ケータイにつけていたキーホルダーを外してつけた部屋のカギを取り出した。カチャリと差し込んで抜きドアノブを押して家に入る。

「お帰りなさい伊作君」

既に、慣れたくもないのにもう見慣れてしまった包帯男が玄関で片手をあげて、ニッカリと白い歯を見せて笑いかけてきた。


出会いは最悪だった。訴えようにも訴えようもなく親公認で付き合わざるを得ないような状況に立たされて、自分の身は自分で守るべきとあの日に決めた。
蜘蛛の糸の用に、僅かなの天の助けといえば包帯男、名を雑渡さんと呼んでいるこの人の、部下にあたるお兄さんが常識人であったこと。お兄さん…こちらは諸泉さん…にはその上司にセクハラ紛い、むしろ犯罪紛いのことをされて助けてくれたくれた事もあったし、壁際に追い詰められて既に逃げ場を無くして後はネコに遊ばれるだけのネズミ状態の僕を憐れんでか、ネコにがっちり首輪をつけてリードを握ってくれた。

「18歳になろうが90歳になろうが犯罪は犯罪です」

それでも、お兄さんが常識人であろうが止めてくれていようが、大学の入学式の日、帰宅して帰った家の中にはまだ片付けきっていない引っ越し道具や家財をすっかり整頓させてお茶をすする雑渡さんがいた。その隣で申し訳なさそうに、お茶を入れている部下のお兄さん。親の付き合いを握られている僕も所詮サラリーマンのお兄さんも逆らえない。
片づけておいたよ、とニコニコ優雅に綺麗にパリッとノリの効いた上等そうなスーツを着こなし、お茶を飲む雑渡さんの正面で、白いYシャツを袖まくりして短い刈り上げた髪をバンダナでしばっているお兄さん。きっと片づけたのはこの人なのだろうなあと察した。
「折角伊作君が一人暮らしをしたのだから、二人っきりでお茶をしたかったのだけどね」
ジロリと部下を睨む雑渡さんに諸泉さんは、きっと止めに止めて止めきれずについてきてくれたのだろう。申し訳なさそうにお茶、どうぞ、と差し出してくれた。
ここは本来なら僕の部屋なのだけど、何となくの予想通りではあるけど非常識な雑渡さんの行動に、落ち着くためにも大人しく差し出されたお茶をすすった。

しかし部下のお兄さんもそんな毎度と全てこの包帯男の行動に付き添いきれるはずもなく、一か月が過ぎた。ある日にこの薄気味の悪い男が一人でやあ、と帰宅した部屋の中に、ついに、ついに、一人でだ、いた瞬間にどこか堪えていた気持ちが切れた。
出会った日のことかいかに恐ろしかった事だとか、休日にやってきてピンポン押すもの居留守を使えば勝手に鍵を開けて入ってきてしまう事だとか、勝手に許可無く家に来て冷蔵庫の中に入れておいたビックプッチンプリンを勝手に食べていた事だとか、人のいない間に勝手に風呂を浴びて諸々の自分の私物と僕のものを一緒に洗ってこれ見よがしに並べて干していた事だとか、怒りで全てまくしたてて、少し息切れをさせながら、最後の疑問を投げつけた。
「…で、なんで、そこまでして僕にこだわるんです?」
これだけ言われても笑顔でニコリと迎えられた。
「君が好みだからに決まっているでしょう」
一番恐ろしかったのはこの人が、本気で言っているのか区別がつかないこともだが、その言葉の真意。過去に一番恐ろしかった、火傷を負ったというその容姿には慣れていたけれど、その恐ろしい外見の器の中身が不可解で最も怖かった。好みって、だから何を僕に求めているのか、と余計に鳥肌が立った。
今後一切、この部屋に勝手に入らないでください、ピシャリと喉にずっとつっかえて吐き出せずに我慢した言葉を吐き出して、連絡を聞いていた部下のお兄さんに電話をすれば慌ててすぐにかけつけてくれたのですぐに引き渡した。
頭に血が上りいくら親の恩ある人だからといっても、もし今後ここをもう追い出されようにも、路頭に迷おうにももう知ったことではない気分になっていた。この人と出会って数年やっと溜め込んだ恐怖と全てに精々をした。

その後にはその後に急に押し寄せてきた、親のことだとか、やはり自分の身の置き場上の事だとか生活のことだとかサーッと現実的なものが浮かんでくる。地価のことを考えてもここは破格だし、光熱費免除と言う名の、実を雑渡さんが全て払っていたという事。引っ越すにもかかる費用に新しい部屋を借りるにも敷金礼金、何より離れれば交通費もかかる。頼れる友人もそれぞれ遠く実家からなんて通える距離ではない。
不安になって、どうにもいられずに高校時代の友人である潮江に連絡をかけると今は飯の時間だからとケータイを無情にも切られた。それでも今いいからとしつこくかけ直すと呆れた様子で、だから何なんだと渋々と話に付き合ってくれた。
かと言ってもロクに実の事を言えるはずもなく、やたら口ごもる僕に原チャで駆けつけてくれて、ヘルメットをかぶったまま、ずいっと渡された箱はゲーム機本体。
映画化もしたゾンビを打ち倒すゲームで二人プレイのできるシリーズ最新作。通信対戦なら立花や長次もできるとそのうち、お前も自分で本体買えよと朝まで気晴らしにつきあってくれた。

朝方になるころにはそれこそ吹っ切れて眠い目を擦りながら支度をして、大学へと向かう前に同じく寝不足の潮江がぐしゃぐしゃと髪を混ぜて何かあったらちゃんと言えよそのまま源チャで彼も学校へと向かって行った。寮生活なのによく抜け出してきてくれたものだと思う。空いた時間の合間に昼寝をして一日を過ごした。途中、潮江からのメールにしても、こうして頼ってみれば面倒見の良いやつだとも思う。
ふとメールの一文に和らいで、夕方になり、キャンパス生活が終わり学校内での付き合いがが終わり、家に戻る頃にはすっかり忘れていられたのに、居た。また一人でいた。一体何時からいたのかもわからないけれど昨日の今日でだ。
ただ、いたのは玄関の外にだ。でも中に入らなければいいって問題じゃない。カッとまたフツフツと湧き上がりかける僕に何時ものように

「やあ、お帰り伊作君」

ニコニコと包帯の下で笑んでいる雑渡さん。そのまま前を通り過ぎて家に入ろうとすると、声を背中からかけられた。
「家に入れてもらえないかな」
「…断らなくても、ここの合鍵持っていませんでしたか」
「許可なく入らないでくれと君が言ったんだよ」
断ればいいというわけでもない。いやです、と玄関を開けて後ろ手に閉めて中に入りのぞき穴を覗くとドアの向かいの壁に背を付けて立つ雑渡さんが見えた。しばらくしてもまだいる。
空になったポットに水を入れてお湯になった頃、また覗き穴を覗くとまだ立っている。すっかり暗くなって、同じ階の住人が、エレベーターから降りてうちの前を通り訝しげに僕の部屋と彼を見比べて行く。
何人目かが通った時にそれでも雑渡さんはまったく動じる事はなかったけど、えらくいたためれなくなりコチラが折れた。途中通り行く人に通報でもされたらそれこそ目立ってしまうしどんな噂を立てられるかたまったものじゃない。
「近所迷惑なんで入ってください!!」
人目があるからと、自分から結局結果として招き入れることとなった。お邪魔するよ、と靴を脱いで台所に入って知った部屋の用に台所の上の棚の上から買った覚えのないインスタントコーヒーを出して買った覚えのないマグカップマグカップ二つににお湯を注ぎ始めた。本当はおいしいコーヒーを入れてあげたいんだけどねえ、とコトリと置かれたのは僕の分と雑渡さんの分だ。
「昨日は怒らせてしまったからほらお詫びにご飯を作ってあげよう」
はあ、と返して楽しそうにスーツの上着を脱いで料理を始める男の広い背中を、無理やり座らされて眺めた。トントンとかいがいしく料理をし始め、椅子に茫然と座って待つと手早くやたら美味しそうな料理が次々に運ばれる。
プチトマトにぐるぐる豚肉を巻いて焦がして塩コショウした可愛らしい前菜に、千切りしたキャベツと細くした大根の上に細かくされたもみ海苔、その上にゴマ油でいためたジャコを乗せてポンズをドレッシングにしたサラダ。レンジなんてないから魚を焼く下のところを使ってバター塗ってチーズを乗せたフランスパンみたいなのが入ったオニオンスープ。
この時点の前からお腹よりも気持ちがいろんなものでいっぱいになりそうだったけれど、トマトとタマネギを混ぜてチリパウダーみたいなのとか持ち出したのかワインをじゅわっとソースを作ってをかけたいつの間にか出来てたハンバーグがことんと置かれた。
「やっぱり子供はハンバーグが好きだよねえ」
ハンバーグにしては凝っていそうなフォークで刺して埋もれた先から肉汁がじゅわっと出てきた。大学生にもなって子供と言われるのもなんだけどもたしかに出してくれたものは美味しいのでもくもくと流されるままに食べて片づけてもらって、デザートに家から作ってきたと言うベイクドチーズケーキを出された。下にはクッキーを砕いた生地がサクッとしていた。

食後にお茶をいっぱいとどれも、美味しいことは美味しい。けれど何だかやっぱりこの状況はおかしい。
「あの」
食器をかちゃかちゃと洗いながら鼻歌交じりに振り返られる。
「何だい伊作君」
「すいませんけど何時までここにいるんですか」
時計の針は短い方が11よりも12のに狭まっている。ニコリと今日はもう帰る手段がないなあと笑顔で笑った。


後は別に何かがあったわけではないけれど、どうせタクシーだってあるのだろうに終電がないから帰れないだだなんてどこかで聞いたわざとらしいセリフを聞いて、カチカチと押し倒して調節する安いソファの上から動いたらその場で叩き出す宣言をした。
料理の材料の他にきっちり着替え用品をもってきたりと最初からそのつもりだったのだと思う。まず入れてもらえなかったらと言う考えはなかったようだった。

その日にわかったのは、雑渡さんは言えば一応はわかってくれる人間ではあると言う事。止めてくれと頼んだことはしないという事。着替えの持ち込みも以前に嫌がらせのつもりか彼なりの僕には理解出来ない満足感を満たすために、洗濯物を一緒に洗って一緒に干すなと言うのを律義に守ったせいらしい。
その後も何度か僕が帰るまで、帰宅した僕に許可をもらうまでマンションのドアの前で律義に待っているものだから、迷惑だから合鍵使って来るなら中にいて貰う状況になっていってしまった。

そして今日も今日とて流されるにいたり、だんだん慣れてきてしまった事に不安を覚える。心なしか距離が縮まってきてしまっているのが恐ろしい。



これはあまりよくないと思いつつも、これは完ぺきにこの人に流されてほだされてきている予感もしながら、ため息をついてこんばんはと包帯を巻いた男に答えて自分の部屋入った。


 










一年ぶり以上ぶいに更新とやっとこさのオマケでした。

2010.2.16